HITAC5020 - oraccha/omicron GitHub Wiki

昔、日立製作所が開発していた計算機です。

1960年4月,東大の TAC (国家プロジェクトとして開発された真空管式計算機)を開発した村田健郎,中澤喜三郎氏らによって開発が始まった.1965年4月に京大に納入,以後,NTT,東大に納入される.5020E/F という上位互換後継機が存在する.

  • [http://museum.ipsj.or.jp/computer/main/0003.html HITAC5020] (IPSJ)

OS(というかこの頃はまだモニタと呼ばれていた)は多重プログラミングを実現しており,後に Multics にインスパイアされ,タイムシェアリングシステムを実現する HITAC5020/TSS が開発された.詳しい内容は岩波講座情報科学「オペレーティング・システムの機能と構成」や,次の論文で知ることができます. 30 年前の論文ですが,今見てもなかなか面白いですよ.スキャナで取り込んだのでいまいち鮮明じゃないですけど.

HITAC5020/TSSは後に、HITAC 8700/8800用OS OS7として世に出た。

アドレスの上位がレジスタに割り当てられていて,1ビットアドレッシングできるなんて今の人じゃ考え付かない発想だし.

  • Burroughs B1700も1ビットアドレッシングだそうです。
  • TIのグラフィックチップも1ビットアドレッシングをサポートしてました.それと,68020も一応ビットアドレッシングを指定できますね.ワード内のビットアドレスとは向きが逆ですけど.- Hayakawa

コンピュータが計算機と呼ばれた時代って日本の計算機黎明時代の本が出たんですけど,写真が多くてよさげです.

共立出版『アルゴリズム辞典』では単に「5020」という項目名になっています。COBOLの次の、「小町算」のリダイレクトの次。


次は, http://www.is.kyusan-u.ac.jp/~nakano/computer/history.htm からの引用.

''メモリアドレスが 16 ビットなら、古今最高のアーキテクチャと思う。 故池田敏雄氏(富士通)を主人公とするTVドラマで、ナレーションが 「日立の勝因はIBM互換だから」と言っていたのには驚愕''

まぁ,マスコミが無知なのは仕方ないですねぇ. 5020は国産技術路線の計算機です. ただ,5020はMulticsをすごく意識した計算機で,Multicsプロジェクトが頓挫しているところにMITに乗り込んでデモをしてきたそうです.MITの連中は驚愕したことだろうねぇ.

  • デモの後,MIT の Salzer 氏とギリシア料理を食べたというような話を聞いた記憶がある.

あと,東大大型計算機センタへの納入で,IBM 7090,CDC6600 あたりとやりあって勝ち取ったみたいな話もよく聞いたなぁ.最後はCDCとの決選投票で1票差だったという噂も。

  • [http://homepage2.nifty.com/Miwa/Story2/6-2.html 富士通の状況] (私のコンピュータ開発記) . FACOM230 シリーズの開発にたずさわっていた富士通側の人から見た記録です.

  • [http://www14.u-page.so-net.ne.jp/rd5/katogi/sanpo.html コンピュータの散歩道] . 「東大の先生方が泣いた国産コンピュータの勝利−HITAC5020の巻」

  • HITAC 5020以降、東大大型計算機センター(現・情報基盤センター)に導入されたスパコンは日立製で占められている。

    • 汎用大型コンピュータ:HITAC 5020 (1966 - 1973)、HITAC 8800 x 3 + HITAC 8700 (1973 - 1980)、HITAC M-200H x 8 (1980 - 1982)、HITAC M-280H x 6 (1982 - 1986)、HITAC M-680H + HITAC M-682H x 2 (1986 - 1990)、HITAC M-880/310 + HITAC M-682H (1991 - 1996)、HITAC MP5800/320 (1996-2001)
    • ベクトル型スーパーコンピュータ:HITAC S-810/20 (1983 - 1987)、HITAC S-820/80 (1988 - 1993)、HITAC S-3800 (1993 - 1999)
    • 超並列型スーパーコンピュータ:HITACHI SR2201 (1996 - 2001)、HITACHI SR8000/MPP (2001 - 2006)、HITACHI HA8000-tc/RS425クラスタシステム (2008 - )
    • ベクトル並列型スーパーコンピュータ:HITACHI SR8000 (1999 - 2005)、HITACHI SR11000 J1 (2005 - )、HITACHI SR11000 J2 (2007 -)

延匡先生,益田先生,中田育男先生らが活躍した.まだこのころは IBM らが日本という市場を相手にしていなかったので,純国産技術による計算機が徒花のように咲いたのかもしれない.その後は,互換機路線,産業スパイ事件などでどんどん没落していったようにみえる.でも,やっぱりプロセッサOSコンパイラを一通り自前で揃えとかないといけないよな.

  • 吉澤さんは延匡さんは技術者というより政治家だからなぁと言うが,技術的なことで唯一学んだことは,OS (特権モードで動作するプログラム)は極力小さく作るということだったそうな.

中田先生らが作ったFORTRANコンパイラはHARPコンパイラと呼ばれていた。これは当初FORTARNはIBMの製品名でないかという懸念があったらからだという(出展:渡辺坦「コンパイラの仕組み」)。


[http://www.ipsj.or.jp/katsudou/taikai/62display-40.html こんなの]が企画されている らしいです.

2001-03-14 . HITAC5020も展示されてました.前に延匡さんにモジュールを一つ見せてもらったけど,そのようなモジュールがバックプレーンにずらっと刺さってました.半田付けも手作業で,こんなのが動いていたなんてと感慨深げに見てきました.

[http://www.hotwired.co.jp/news/news/20000706304.html 最新スパコンで蘇るメインフレーム時代の思い出] (HotWired 2000-07-06) . IBM1401 も展示されてました. デザイン的にもSFチックだし,格好いいですよね.この記事は 1401 以前の真空管を使った Q7 時代のプログラマの話.

2001-03-30 . 某通信機メーカの方々(30代)と飲んでいたときに,5020の話をしたら「HITAC,懐かしいね」という声が.同年代と話してたら通じないだろうな.

  • 2008-05-30: もう自分も30代か。時間が経つのは早いもんだな。

先日 0b11111 歳になってしまいました。さて

2008-08-18 . 『情報処理』Vol. 49, No. 8 (2008年8月号) p. 992 . ミニ小特集「コンピュータ将棋は止まらない」の囲みコラム「おふぃすらん」より .

第 18 回世界コンピュータ将棋選手権(情報処理学会後援)の模様を活き活きと伝える手書き原稿が日本将棋連盟理事中川七段(MetaNest注:NHK杯、羽生の9八角大逆転動画の対戦者。なお解説は本コラムに登場する加藤九段(現))から送られてきました.私とコンピュータ将棋との出会いは昭和 43 年頃に週刊朝日に掲載されていた加藤一二三 八段(当時)による詰将棋コラムとそれを解いたコンピュータの棋譜解説でした.王手を掛けられる手を網羅的に試して詰むかどうかを判断する詰将棋プログラムを大型計算機 HITAC 5020 で開発したのは将棋の大好きな日立研究所の越智主任(当時)ですが,プログラムは人間では指し難い俗手による余詰めを解としてプリントアウトして,作者の加藤八段を困らせていました.それから 40 年,世界中の家庭に HITAC 5020 より遥かに高速のコンピュータが備わり,アマトップとコンピュータ将棋の対戦をプロが解説するという当時からは考えられない時代となりました.(後略) (湖東俊彦/事務局長)

そういえば高橋先生は囲碁派でしたっけ? 違ったかな.

  • 延匡さんは囲碁好きだったね。OS/omicron上でも囲碁の研究をしてました。それにしても、加藤一二三とか、懐かしい。-りょうせい
  • 懐かしいって、(他のみなさんは引退する中で)今も現役ですよ。-MetaNest
  • あ、そうなんだぁ。小学校のころに周りで将棋ブームがあったんだけど、「一二三」という名前のインパクトで記憶に残っていた。