男の友だちは - asamesi/mae GitHub Wiki

 彼が、男の友だちは酒を飲んでいかんと云へば、彼女は、女の友だちは嫉妬深くて嫌ひだと云ふのである。  この男は、必ず、女のやうに科をつくり、この女は、概ね、男のやうな言葉を使つてゐる。彼等は、必ずしもそれがために意気投合したのではないが、二人の「友情」を保つ上に、この努力が必要なのである。つまり、彼等は、互にできるだけ「性的示威」を慎まねばならぬと心得、一面意識的に「反性的示威」を試みてゐるのである。  かくの如き滑稽な例は、今日、やや増加の徴候がある。そして更に滑稽なことには、この「反性的示威」が、往々意外にも、「性的示威」と同一結果を生むに至るのである。その場合、男女間に於いて、「性的役割」の部分的転換が行はれることはいふまでもなく、モボとモガのあるものは、その典型的な標本であらうと思はれる。  この種の男女は、一般の異性に向つて、極度に、露骨に「性的示威」を行ひながら、一方、特定の異性に対しては、努めて「反性的示威」を試みる異常な風習を流行させたが、この風習はやがて、発生の起因から遠ざかつて、近代的コケツトリイの一形態を成すものと思はれる。これを「性の反性的表示」と名づけてもいいし、「恋愛の友情化」と呼んでも差支へあるまい。  ここで、恋愛心理の歴史的考察を加へれば、男女間の「性的要求」は、従来の何人も予想しなかつた複雑さを加へ、凡そ恋愛が、異性のうちに異性を求める関係は、反射的に二重の作用を行ふ時代に到達したのである。即ち、男も女も、それぞれ両性を兼ね備へ、男は、個有の「性」によつて、女の個有の「性」に対し、その「女性的副性」によつて、女の「男性的副性」に対する新法則が生れたのである。  故に、これからの男が、恋愛に於いて、単なる男性であることは、結局、女の要求を全部的に満足せしめ得ないことになる。  この事実は、将来の社会に於いて、異性間の「友情」を、ある程度まで可能ならしめることに役立つであらう。少くとも、その公算を多からしめるわけである。  試みに、男女関係を図式で示せば、左の通りである。 ヴォラーレ