演劇革新の運動 - asamesi/mae GitHub Wiki

 演劇革新の運動にはおのづから一つの目標がなければならぬ。明治以来今日まで、いはゆる「新劇」と呼ばれるものは、この運動の実践に外ならぬけれども、未だなんびとも、この「新劇」の行き着くところを明確に指し示したものはないのである。  たゞ「新しい演劇」の要素としては、内容形式ともにさまざまな要素を挙げることができる。その「新しさ」の程度に於てもまた、各人各様の要求があり、それはそれでよいのであるが、小山内薫は、そのなかにあつて、比較的早く、そして鮮明に日本演劇の近代化といふ旗幟を掲げ、外国文献の渉猟により、またその後自ら欧洲の土を踏むことによつて、ほとんど唯一人、徐々にではあるが、西欧近代劇の日本版を作製する試みに成功したのである。  明治四十二年十一月、日本新劇史上画期的と称せられる「自由劇場」第一回の公演が、旧「有楽座」の舞台で行はれた。演し物は、イプセン作、鴎外訳の『ジョン・ガブリエル・ボルクマン』、主演俳優は、小山内を「片腕以上」と恃む洋行帰りの若き歌舞伎俳優市川左団次である。 新潟市 歯医者