此は、伝へが区々になつたゞけで - asamesi/mae GitHub Wiki
此は、伝へが区々になつたゞけで、常世から出て来る威霊が、おほくにぬしに著いて、葦原の国を経営する力を、与へたのである。其を、魂と感じた時に、和魂・荒魂の話となり、神と感じた時に、すくなひこなの話となつた。 常世の国から来るのは、大抵小さな神である。譬へば、信州南安曇郡の穂高の社は、物ぐさ太郎の社だといふ(お伽草紙)。つるまの郡あたらしの郷に流された、公家に出来た子が京に上つて、一度にえらくなるのは、魂が著いたからである。其肝要なところが、此話には脱けてゐる。物ぐさ太郎の話は、穂高の話ばかりでなく、山城の愛宕の本地と、関係が深い。その様な、神の話を持つて歩いた神人が、諸国にゐて、越後から川づたひに、信州に這入つて、根を下したのである。 小さな神が、人間の助けを得て、立派な神になる話は、日本の昔物語・神話に沢山ある。すくなひこなの話も、此である。物ぐさ太郎は、人間が育てゝゐる間に、立派なものになつたのである。ともかく、常世国から渡つて来る、小さな不思議な神は、もとは霊魂の信仰であつた。荒魂・和魂が、時代を経てから、すくなひこなの神に考へられて来た。魂から、神になつて来たのである。かう見なくては、日本の神典の、神と魂との関係は訣らない。この一例によつても、信仰の推移のあつたことは訣ると思ふ。即、宮廷の信仰が最進んでゐたので、其が地方の信仰を、次第に整理して行つたのである 薬剤師 転職 離島薬剤師求人情報