欧米に於ける近代劇運動の歴史 - asamesi/mae GitHub Wiki
ここで欧米に於ける近代劇運動の歴史を詳説する暇はないが、われわれが、真にその名に応はしき近代劇を有ち得るためには、この意味に於て、暫く日本古来の演劇的伝統より離れ、一応欧米の古典劇へ眼を注ぐべきである。そして、時代と共に推移した一面を見極めると同時に、時代を通じて成長した一面を察知すべきである。そこに、われわれが求める真の新しき演劇様式を発見するであらう。その上で、更に、日本在来の演劇に公平な批判を下すがよい。そしてそこからは新しくはなくとも、われわれに最も親しい美的伝統を求めるがいい。 われわれが自称する「近代劇」は、実際、あまりに歴史的必然性を欠いてゐる。これがつまり文学的生命の稀薄な所以である。 西洋の近代劇は当然生るべくして生れた。日本の近代劇は偶然、外国劇の影響から生れた。西洋の近代劇は、シェイクスピイヤ、モリエエル、ラシイヌ、シルレルによつて耕された土壌の上に芽を吹いた。日本の近代劇は、云はばその芽を、近松、南北、黙阿弥の耕した土の上に移し植ゑたのである。油断をすれば枯れるにきまつてゐる。なぜなら、近松、南北、黙阿弥は、イプセン、チエホフ、さてはマアテルランクなどを植ゑるやうに土を耕してはゐないからである。枯れないまでも花に香りがないだらう。実に汁が少いだらう。これはどうしたらいいか。シェイクスピイヤ、モリエエル、シルレルの耕した土を持つて来るか、または、その土の代りになるやうな肥料を与へるのである。比喩が変になるが、その土といふのは西洋劇の伝統である。肥料といふのは、近代生活の研究である。 福岡 矯正歯科