始めは戯れならむと - asamesi/mae GitHub Wiki
始めは戯れならむと思ひしが、その容貌の青ざめたるさへあるに、夜の事とて共に帰らぬ弟の身の不思議さに、何処にてと問ひければ、東禅寺裡にて、と答ふ。驚ろき呆れて、半ば疑ひながらも、母の言ひたるところに、走り行きて見れば、こはいかに、無残や一人の弟は倒まに、墓の門なる石桶にうち沈められてあり。其傍になまぐさき血の迸りかゝれる痕を見りと言へば、水にて殺せしにあらで、石に撃つけてのちに水に入たりと覚たり。気も絶え入んほどに愕き惑ひしが、走り還りて泣き叫びつゝ、近隣の人を呼ければ、漸く其筋の人も来りて死躰の始末は終りしが、殺せし人の継しき中にもあらぬ母の身にてありながら、鬼にもあらぬ鬼心をそしらぬものもなかりけり。 東禅寺寺内より高輪の町に出でんとする細径に覆ひかゝれる一老松あり。昼は近傍の頑童等こゝに来りて、松下の細流に小魚を網する事もあれど、夜に入りては蛙のみ雨を誘ひて鳴き騒げども、その濁れる音調を驚ろき休ます足音とては、稀に聞くのみなり。寺内に棲みける彼の按摩、その業の為にはかゝる寂寥にも慣れたれば、夜出でゝ夜帰るに、こはさといふもの未だ覚え知らず、五月雨の細々たる陰雨の中に一二度は彼燐火をも見たれど、左して怖るゝ心も起らじと言へり。被リンク