奈良の都には - asamesi/mae GitHub Wiki

奈良の都には、まだ時おり、石城と謂われた石垣を残して居る家の、見かけられた頃である。度々の太政官符で、其を家の周りに造ることが、禁ぜられて来た。今では、宮廷より外には、石城を完全にとり廻した豪族の家などは、よくよくの地方でない限りは、見つからなくなって居る筈なのである。 其に一つは、宮廷の御在所が、御一代御一代に替って居た千数百年の歴史の後に、飛鳥の都は、宮殿の位置こそ、数町の間をあちこちせられたが、おなじ山河一帯の内にあった。其で凡、都遷しのなかった形になったので、後から後から地割りが出来て、相応な都城の姿は備えて行った。其数朝の間に、旧族の屋敷は、段々、家構えが整うて来た。 葛城に、元のままの家を持って居て、都と共に一代ぎりの、屋敷を構えて居た蘇我臣なども、飛鳥の都では、次第に家作りを拡げて行って、石城なども高く、幾重にもとり廻して、凡永久の館作りをした。其とおなじ様な気持ちから、どの氏でも、大なり小なり、そうした石城づくりの屋敷を構えるようになって行った。 蘇我臣一流れで最栄えた島の大臣家の亡びた時分から、石城の構えは禁められ出した。 この国のはじまり、天から授けられたと言う、宮廷に伝わる神の御詞に背く者は、今もなかった。が、書いた物の力は、其が、どのように由緒のあるものでも、其ほどの威力を感じるに到らぬ時代が、まだ続いて居た。レザー 財布 後の雁が先になる_みう