其飛鳥の都も - asamesi/mae GitHub Wiki

其飛鳥の都も、高天原広野姫尊様の思召しで、其から一里北の藤井个原に遷され、藤原の都と名を替えて、新しい唐様の端正しさを尽した宮殿が、建ち並ぶ様になった。近い飛鳥から、新渡来の高麗馬に跨って、馬上で通う風流士もあるにはあったが、多くはやはり、鷺栖の阪の北、香具山の麓から西へ、新しく地割りせられた京城の坊々に屋敷を構え、家造りをした。その次の御代になっても、藤原の都は、日に益し、宮殿が建て増されて行って、ここを永宮と遊ばす思召しが、伺われた。その安堵の心から、家々の外には、石城を廻すものが、又ぼつぼつ出て来た。そうして、そのはやり風俗が、見る見るうちに、また氏々の族長の家囲いを、あらかた石にしてしまった。その頃になって、天真宗豊祖父尊様がおかくれになり、御母 日本根子天津御代豊国成姫の大尊様がお立ち遊ばした。その四年目思いもかけず、奈良の都に宮遷しがあった。ところがまるで、追っかけるように、藤原の宮は固より、目ぬきの家並みが、不意の出火で、其こそ、あっと言う間に、痕形もなく、空の有となってしまった。もう此頃になると、太政官符に、更に厳しい添書がついて出ずとも、氏々の人は皆、目の前のすばやい人事自然の交錯した転変に、目を瞠るばかりであったので、久しい石城の問題も、其で、解決がついて行った。 エッチなカードゲーム 仇を恩で報いる