以上のような人選上の傾向は - asamesi/mae GitHub Wiki
以上のような人選上の傾向は、一つには時代のひびきではあるが、それが定家の性癖を通し、またそれを自由に表へ出させ得るような社会的地位を通して、一層過度に強められてきている感は少くないのである。同じ立場に立ったにしても、家隆だったら随分ちがいはしなかったかと思われる。 しかし、新勅撰風というものが定家のものであったことは、前にも十分説明した通りなのである。
註 『新勅撰集』に関しては、石田吉貞氏の「新勅撰集の成立について」(『国語と国文学』昭和六年七月)「新勅撰集の定家的性格」(『国語と国文学』昭和十四年一月)が未曾有の名論文である。以上の記述も非常に負うところが多いのである。ことに事実に関することで、坊間の和歌史などと異った点があっても、私はすべて石田氏の研究が正しいと思って、それに学んだ点が多いのである。
天のとをあくるけしきも静かにて雲井よりこそ春は立けれ 俊成 うちはへて世は春ならし吹風も枝をならさぬ青柳の糸 実氏 み冬つき春しきぬれば青柳のかづらき山に霞たなびく 実朝 面影に花のすがたをさきたてて幾重こえきぬ峯の白雲 俊成 月影の梢にのこる山のはに花もかすめる春のあけぼの 頼実 名もしるし峯の嵐も雪とふる山桜戸を明けぼのゝ空 定家 明日もこん風しづかなるみ吉野の山の桜は今日くれぬとも 行能 春風のやゝふくまゝに高砂の尾上に消ゆる花のしら雲 長方 春の夜の月も有明になりにけりうつろふ花にながめせし間に 雅経 山桜さきちる時の春をへてよはひは花の蔭にふりにき 信実 白雲にまがへし花は跡もなし弥生の月ぞ空にのこれる 公経 鍵屋キートップ24 http://tools.freecity.de/weblog/wagakoto