一里以上もあるといふ山道を - asamesi/mae GitHub Wiki
一里以上もあるといふ山道を女たちばかりの手で運ばれて来る国民学校の物々しい教壇を、移動演劇金剛座の隊員一同は、胸せまる思ひで迎へたことはいふまでもない。 しかも、それらの女はすべて花恥かしい乙女たちであつたから、田丸浩平も「うむ」とひと声唸つたきり犒ひの言葉を忘れるほどであつた。 どれもこれも、真つ赤な顔に露のやうな汗を溜めてはゐるが、誰一人肩で呼吸をするものさへなく、教壇をそこへおろすと、もうさつさと引揚げにかかるのを、隊長の尾沢が追ひ縋るやうにして、今夜の芝居は観て行かないのかと、そのうちの一人におそるおそる訊ねるといふ始末であつた。 すると、その返事は、 「着物を着かへてからまた出直して来るのや」であつた。 なるほど幕が開く前には彼女らはもう、一張羅と着替へて、ちやんと舞台の真正面に陣取つてゐるのである。 この日の舞台は、この見物の故に一層張切つてゐるやうに見えた。 貯金奨励の宣伝劇を最初に据ゑるのはどうかと危ぶまれたが、それも素直にうけいれられ、第二の南方第一線における朗らかな挿話を本筋に、銃後の頼もしい決意を結びとした悲壮喜劇とも名づくべき演し物は笑ひと涙の挟み撃ちで一見、申分のない効果を挙げた。 ヴォラーレ