そして、更にまた - asamesi/mae GitHub Wiki

 そして、更にまたこの事件を複雑にしてゐるのは、自殺にしろ、他殺にしろ、その方法と順序を示すなんの形跡も、手がかりもないことでした。つまり、それに用ひた薬品も、それを盛つた容器の類も、まつたくそのへんには見当らず、たゞ、午前中のある時刻に、件の書物が彼女の体内にはいつた事実だけが確かであるに過ぎないのです。 「根本さん、あなたから、ひとつ、最後に来た婦人の名前だけでも言はせてみていたゞけませんか」  藤本が、あたりを憚るやうに、保枝に言ひました。そして、眼で、そばに突つ立つてゐる笹山千鶴子に、あつちへ行つてゐるやうに相図をしました。 「さつき訪ねて来た女のひとつて、だれ?」 と、保枝は、自分だけがそれを知るものならと思ひながら、息をひそめました。 「……だれでもない……グラン・タムール……」  たゞ、それだけです。  それから一時間後に、大庭常子は、解しがたい謎をのこして眠るやうに呼吸を引きとりました。  …… …… …… ……  大庭常子の変死は、楽壇はもとより、世間の好奇心をそゝりました。金谷秀太と軽井沢の青年秋葉精の来訪は確実となりましたが、それ以上、なんら嫌疑を受けるべき証拠がないといふことになりました。もう一人の婦人の訪問者については、まつたく雲をつかむやうな話で、その婦人を見たといふたつた一人の人物、事務所の受附けの少女は、たゞ、洋服の、背の高い、三十ぐらゐの婦人といふだけで、人相や、声などについて細かいことをたづねると、それは、ひとりでに大庭常子そつくりの女性になるといふ、厄介な証人でした。超常現象・世界のミステリー セントラルリサーチセンター