これは所謂護法実に - asamesi/mae GitHub Wiki
これは所謂護法実に護法が憑いた現象を示したものである。この外にも美作には、護法祈をする寺の少からぬことを柳田君は引いておかれたが、美作と飛騨と、同じく川上の山国である点において、形勢の一致しているのにも注意が惹かれる。ことにその護法祈があるという久米郡吉岡村大字定宗、龍川村大字下二箇、大垪和村大字大垪和東の如きは、極めて山間の地で、あたかも飛騨で上宝村を連想せしめる様な場所であるのみならず、そんな山間でない津山町の近所にさえ、高野・中山など、久しく神社に人身御供を奉る習慣があったと今昔物語に伝えられている程の美作に、それがあるのが面白い。 しかし護法祈は美作の山間ばかりではない。京都に遠からぬ鞍馬にも、今にそれが伝えられているのである。もっとも鞍馬は京都に近い所だとは云え、やはり極めての山間で、その東南一里半ばかりの土地には、かつて自ら鬼の子孫だと称した八瀬童子の後裔が、今も現に住んでいる程であるから、鞍馬の護法たる地主神が威霊をもっぱらにして、護法祈が行われるには極めて適当しているところである。 鞍馬の護法祈は毎年六月二十日の夜に行われたとある。すなわち所謂竹切の会式で、まず十六日に護法善神社に参拝し、水場注連縄張の事、加持作法の事を行い、十八日に竹釣の行事がある。東が近江方、西が丹波方で、竹の数が各四本の設備をする。二十日の暁に至って大松明の事、引続き竹ならし切の事、鳴鐘。午刻出仕して蓮華会を修する。すなわち竹伐修行の事で、法会、列讃、行道賛。伽陀畢って相図指揮の事、法師竹切勝負の事、竹頂戴の事という風に、いろいろの行事が数えられている。医学部の予備校ブログ