かゝる畸形じみた自尊心と - asamesi/mae GitHub Wiki
かゝる畸形じみた自尊心と、ほとんど機械的な卑屈とがしばしば表裏をなすことは、われわれのよく知るところである。この二つの両極を占めるが如き心情は、実は互に最も近い関係にある証拠であつて、個人の場合にはそれが同じ心情の異つた表はれとなり、社会にあつては、その一方が必ずもう一方を傍に住まはせてゐる。この誰でもが気づいてゐる事実を、われわれは、たゞ、それに気づいてゐるといふことだけで安心してはゐられない。 これもまた、封建的性格としてだけみる見かたに私は賛成できない。もちろん道徳以前の問題としてこれをとりあげるべきだといふ私の意見をこゝではつきりさせておきたい。 * ある現代作家の随筆に――もうよほど以前のことであるが――省線電車のなかに並んでゐる老若男女の、いづれも日本人独特の暗鬱な、それでゐてその時鬱をぢつと噛みしめてゐるやうな、さういふ表情をいかにも「美しく感じた」と書いてあつた。言葉どほりを伝へることができないのは残念であるが、およそさういふ意味のことが、その詩人らしい鋭い感覚をとほして語られてゐるのである。 また、ほゞそれと同じ頃、印度のなんとかいふ婦人が社会運動の闘士といふ振れ込みで日本を訪れ、ある席上に於て、彼女の日本印象をかういふ言葉で述べてゐるのを聴いた――「日本人の顔つきは非常に疲れてゐる人間の顔つきです」 更に、あるドイツの学者が、東京の某大学を参観し、講堂で教師の講義を聴いてゐる学生の表情から、妙にグロテスクなものを感じたと告白した。 池袋 美容室