かの「世間」 - asamesi/mae GitHub Wiki
これは、かの「世間」といふやうなものとは別に、われわれ日本人の性情や知能のうちに、宿命的な原因がひそんでゐるからだと思はれる。狭量とか、短気とか、一徹とか、それらのことにも関係はあらうし、さらに、私は、別の角度から、「表現力の貧しさ」といふものに、大きな原因を認めなければならぬと思ふ。「表現力の貧しさ」は、結局、「説得力の弱さ」である。説得できないのに目的を達しようとすれば、たゞ、直接間接、脅迫の一手あるのみである。「泣き落し」もまたしばしば相手の感情的弱点をねらふ「おどし」にすぎぬ。 * われわれは子供の頃から、まことに無意識に人を脅迫し、また、脅迫されつゞけて来た。 まづ、泣きわめくことによつて母親を脅迫した。人前でしばしば行儀をわるくするのは、「あつち」へ行つてお菓子をもらふためであつた。父親に小遣をせびる一番有効な方法は、友達に借金をしたといふ口実である。 両親は両親で、お灸、押入、お巡り、人浚ひ、学校の先生などを持ち出し、ご飯をたべさせぬとか、家の中へ入れない、などと無法なおどし文句をならべた。 浅草の美容室