おかみさんは - asamesi/mae GitHub Wiki
おかみさんは、これも、ヒステリカルに叫んだ。 熊川忠範は、もし許されゝば、おゆきを連れて、夜つぴて、そのへんを歩いてみたかつた。谷中の基地はすぐ眼の前にあつて、格好の散歩道である。もちろん、おゆきに代つておやぢに詫びを入れる勇気はない。そんなことをしようものなら、出入差止めを喰ふのが関の山である。 幸か、不幸か、その時、若い警官は、凜然として言ひ放つた。 「よろしい、わたしがついて行つてあげよう」 警官を先頭に立てゝ、おかみ、おゆき、熊川忠範の順に、棟領の家の玄関をはいつた。 「ごめん!」 警官のひと声に、一同は、粛として、中の返事を待つた。 「どなた?」 と、答へて、棟領田部嘉七が現はれた。 なにをどう言つたか、警官の弁舌は実にさわやかであつた。役目を傘に着て人民を威嚇するやうな調子はみぢんもなく、むしろコンコンと生徒を諭す教師のやうな、情味にあふれた説得のしかたであつた。 熊川忠範は、思はずほろりとした。 田部嘉七も、いくども、大きくうなづいた。 「では、ゆきさんといつたね、あんたも、これで、お父っつあんの意見はお父っつあんの意見として、あくまで、これから尊重することを約束して、家へいれてもらひなさい。いゝかね、わたしは、今夜はじめて、この町内の巡回に当つたんだが、これからまた、ちょいちょい寄せてもらひます」 「どうも、とんだお手数をかけまして……」 と、おかみさんは、丁寧にお辞儀をした。 「ありがたうございました」 おゆきは、かすれた声で言つた。 警官は、佩剣の鞘を、片足で器用に払ひながら、挙手の礼をしながら、出て行つた。 ところで、熊川忠範であるが、自分はなんのためにそこにゐるのか、自分でもわからなくなり、やつと、 「ぢや、みなさん、おやすみなさい」 さう言つて、あたふたと影を消した。 レイキ 京都