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1. ラッセルのパラドックス

論理学バージョン:

定義 1.1: 述語 W(x)の定義
  W(x) を「x は自分自身に述語づけられない述語である」と定義する
定義 1.2: 命題 P の定義
  P を「W(x) は自分自身に述語づけられる」と定義する
逆理 1.3: ラッセルのパラドックス
  P は True だろうか?いずれの答えからもその反対が帰結する

集合論バージョン:

定義 1.1s: 集合 Rの定義
  R を「自分自身を要素に含まない集合からなる集合」と定義する
定義 1.2s: 命題 P の定義
  P を「R は自分自身を要素に含む」と定義する
逆理 1.3s: ラッセルのパラドックス
  P は True だろうか?いずれの答えからもその反対が帰結する

日常言語バージョン:

定義 1.1v: 床屋の主人 X の定義
  X を「ひげを剃らない人全員のひげを剃る人間」と定義する
定義 1.2v: 命題 P の定義
  P を「X は自分自身のひげを剃る」と定義する
逆理 1.3v: ラッセルのパラドックス
  P は True だろうか?いずれの答えからもその反対が帰結する

なぜパラドックスと呼ばれるか: 「いずれの答えからもその反対が帰結する」とは、「P が True だと仮定すると P が False が導かれ、かつ、P が False だと仮定すると P が True が導かれる」ということだ。どっちを仮定しても不合理である。

2. ラッセルのパラドックス の説明/証明のようなもの

論理学バージョンで説明

定義 1.1: 述語 W(x)の定義
  W(x) を「x は自分自身に述語づけられない述語である」と定義する
定義 1.2: 命題 P の定義
  P を「W(x) は自分自身に述語づけられる」と定義する
逆理 1.3: ラッセルのパラドックス
  P は True だろうか?いずれの答えからもその反対が帰結する

自分自身に述語づけるって何?: 一般に、述語 Aは 項を受け取り命題を作る。引数となる項の名はなんでもよいが、通常 x とし、A(x) と表記する。自分自身に述語づけられるとは、引数に自分自身を与えたときに、それが True であること、すなわち A(A) が True になることをいう。同様に、自分自身に述語づけられないとは A(A) がFalseになることをいう。「x は100文字以内で表される」は、自分自身に述語づけられるが、「x は10文字以内で表される」は自分自身に述語づけされない。

1.3 の説明: まずは、PがTrue と仮定しよう。1.2から直ちに「W(W)はTrue」が言える。また、1.1 の x に W を代入すると、W(W)の定義として「Wは自身に述語づけられない述語である」が得られる。この二つを合わせると、「Wは自身に述語づけられない述語である」がTrueとなる。ちょっと変形すると「Wは自身に述語づけられる述語である」が False となる。あれ、これってP が False であることと同値だ。まとめると、PがTrueを仮定して、PがFalseが導出された。

次に、PがFalseと仮定しよう。1.2から直ちに「W(W)はFalse」が言える。また、1.1 の x に W を代入すると、W(W)の定義として「Wは自身に述語づけられない述語である」が得られる。この二つを合わせると、「Wは自身に述語づけられない述語である」がFalseとなる。ちょっと変形すると「Wは自身に述語づけられる述語である」がTrue となる。あれ、これってP が True であることと同値だ。まとめると、PがFalseを仮定して、PがTrueが導出された。

(補足)上記二つは、実は同じ構造をしているのでまとめて議論もできる。1.1 の x に W を代入すると、W(W)の定義として、「Wは自身に述語づけられない述語である」が得られる。このかっこの中身は、1.2 より「Pの真偽値の逆」と書き換えられる。つまり、「W(W)の真偽値は『Pの真偽値の逆』」となる。もっといえば、「Pの真偽値はPの真偽値の逆である」となる。これは P の値付けに依らず不合理。

3. パラドックスへの一般的な反応

数学バージョンは非常に深刻に受け止められた。なぜなら 集合論は数学のほぼすべての分野の基礎となる部分だったから。そこで集合論を大改造して、公理的集合論というものを作り上げた。公理的集合論ではパラドックスを引き起こすような怪しい集合もどきは集合と認めないというように存在を無視する。このように決めても、既存の集合論での有用な定理やそれに基礎づけされた他の分野の数学に影響が出ない(ZFCやBNGなどを見よ)。

4. パラドックスを味わう

「どうすればパラドックスを解決できるか?」は公理化・形式化するという方法論には学ぶところが多い。一方「なぜパラドックスが起きるのか」を考えるのは悪くない。Wikipedia の 自己言及のパラドックス ではタルスキやクリプキなどの著名な論理学者の見解も載っている。また、ウィトゲンシュタインの考えも野矢氏の解説書「『論理哲学論考』を読む」で詳細に論じられており勉強になる。ウィトゲンシュタインは何しろその論考において「かくしてラッセルのパラドックスは片付く」と一蹴したのだからその思考をトレースすることは刺激的だ。

自己言及の特徴として、言語で記述できる世界と言語自体が入り混じっている というところがこのややこしさを生む原因となっていると思う(ゲーデル文を構成するときもそうだった)。