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メタ倫理って何?: 倫理学は大きく3つに分かれる: 規範倫理学, 応用倫理学, メタ倫理学。メタ倫理学は「そもそも善いとは何か?」「そもそも道徳的であるとはどういうことか?」など倫理・道徳・規範等々に関するメタな課題に答えようとする。
参考書: 佐藤『メタ倫理学入門』 が硬派な入門書でとても勉強になった。以下、教科書と呼び概要をまとめる。
「道徳は存在するか?」にNoという立場 非実在論: 錯誤説「道徳命題は誤った認知に基づく」が展開できる。これから 道徳全廃主義, 道徳保存主義, 改革的虚構主義, 解釈的虚構主義 に分岐する。大まかには次のような主張になる:「道徳なんて本当は誤った認知に基づくものだし、その程度の重みしかないのだ。でもちょっとは役に立つだろう、それでいいでしょう(教科書p86)」。マッキー
「道徳は存在するか?」にYesという立場 その1自然主義: 「道徳は自然的に実在する」。道徳を世界の諸性質に還元できるか否かで非還元主義(エルフ的)と還元主義(ゾンビ的)に分岐 (注: ゾンビとはX社のウィルスに罹患した人間のことだ。エルフとは人間ではない別の種族の事だ。だから ゾンビ/エルフ は実在するという論法がそれぞれ還元主義と非還元主義に対応する) そして、還元主義はさらに総合還元主義と分析的還元主義に分岐。
「道徳は存在するか?」にYesという立場 その2非自然主義: 「道徳は非自然的に(≒神秘的に)実在する」。神命説, 強固な実在論, 理由の実在論に分岐。特に理由の実在論では道徳の実在性よりも、規範性に注目するという点が面白い。いずれにせよ「道徳は虚構ではないのはもとより、科学によって解明されてしまうような何かでもない。自然科学の探求だけでは、道徳や倫理の問題には答えられない。それでも答え自体は必ずどこかにある(教科書p156)」
「道徳は存在するか?」に中立・静寂を保つ立場: 純実在論(投影のようなもので実在とみなせる ブラックバーン), 感受性理論(実在に加え 主体の感受性も必要 マクダウェル), 手続き的実在論(コースガード), 静寂主義(事実上その議論の白黒は違いを生まない ヘア)
「道徳判断とは?」に 態度の表明であると答える立場 表出主義: 認知が不要だという立場。「善さそれ自体がどんなものであるかというより、私たちが善さという語や概念によって何をしようとしているのか(教科書p205)」に注目する。エイヤーに始まりスティーブンソンで改善「道徳判断には情緒の表出に 加え 記述的な要素を持つ」。情緒の表出からさらに進めて、指令主義(ヘア)規範表出主義(ギバード)
「道徳判断とは?」に 事実の認知であると答える立場 認知主義: 事実判断と道徳判断を似たようなものと捉える。認知→信念→判断というフローに従う。認知主義をとる場合、道徳判断と動機づけの連関に応える必要がある「道徳判断は動機づけとどう関係するのか?また道徳判断を下しながら動機づけられない事例が存在するがそれをどう説明するか(教科書p260を若干改変)」。応答に応じて外在主義と内在主義に分岐する。
以下特徴的なワード
開かれた問い論法: 「XはYである。ところで aはXなのだがYだろうか?」という論法。還元に成功できているかの判定に利用できる。ムーアが提唱し 自然主義的誤謬を指摘するのに使った。メタ論理学では道徳が自然的なものに還元できるという主張への反駁として用いる。
適合の向き: 信念と欲求の違いを表すさいに利用される概念。世界から私に適合の向きを持つのが信念「猫を飼っていない ので 猫を飼っていないは正しい」。一方私から世界に適合の向きを持つ「猫を飼いたい ので 私は猫を飼いたいは正しい」。メタ倫理学では、道徳的判断は信念を持つことに対応する。「人助けは善い ので 人助けをするは正しい」。投影説を批判するのに利用される。
フレーゲ・ギーチ問題: 表出主義では 埋め込み文や条件文が説明不可能という指摘。「盗みは悪い, 盗みが悪いならAに盗みをさせるのは悪い, よってAに盗みをさせるのは悪い」という推論がその例。
プリチャードのジレンマ: 「なぜ道徳的にふるまわねばならぬ?」に関連する指摘。道徳の価値が 手段的なものであるとするならば道徳それ自体に価値があるとは言えず、一方 最終的な価値であるとするならば 「なぜ道徳的にふるまわねばならぬ?」に対して それが道徳的に価値があるからという同語反復的な答えにしかならないという指摘。