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意味とはなにか: まず当面としては、言葉の意味とは「その言葉の指示対象」だと考えてよい。「'リンゴ'の意味は?」と言われた場合、それはリンゴだ。このように考えると、以下のような言明に関してある程度明確なイメージを持つことができる

  • 「X は意味を持つ」: X の指示対象を考えることができる
  • 「X は意味を持たない」: X の指示対象を考えることができない
  • 「X と Y の意味が違う」: X と Y の指示対象が異なる
  • 「私とあなたで X の意味が違う」: 私が X で指示している対象と、あなたが X で指示している対象が一致しない

教科書でならう論理学における「意味論」に相当するものと同一視して恐らく問題ない。ソクラテスが死ぬ例では「∀xPx→Qx, Pa ⊨ Qa」と形式化されるが、ある解釈のもとで「a → ソクラテスと名付けられた人間」という写像関係になる。この解釈を採用した場合 a の意味はソクラテスになる。

規則とはなにか: まず当面としては、「規範的なもの」だと考えてよい。別の言い方をすると、従ったり、従わなかったりすることができるもの。直観的には「X すべき」という文字列で意味されると考えられるもの。X した場合は規則に従ったことになるし、X しなかった場合は規則にそむいたことになる。

  • 運転規則に背く例: 赤信号であるのに交差点に進行した
  • ジャンケン規則に従う例: グーを出した私はパーをだした相手に負けを認めた

上記にみるように、規則を考える際はどうしても行為が付随する。行為を想定することない規則はありえない。そのため「規則とは何か?」と考えることは、「規則に従っているとはどういう状態か?」「規則に従っている行為はなにか?」を考えることに等しい(といってよい)。

推論規則は規則の一例: 論理学で出てくる MP(モーダスポネンス) に代表される推論規則は(運転規則と同様に)規則の一例である。つまり、「P, P→Q」という二つの命題から「Q」を導くという行為、すなわち「P, P→Q ⊢ Q」は、MP に従った行為である。ここでは 規則=MP、行為=推論、という図式が成り立っている。つまり、証明論の描像は「推論規則の集まりを規則として、推論という行為に従う活動」として捉えることができる。論理学では規則に従わない行為は許されない(教師によって間違えていると怒られ教育させられる)。

ルイスキャロルのパラドックスに対する一応の回答: ルイスキャロルのパラドックスに対しては、現代論理学においては一応以下のように反論できる「推論に必要なのは前提となる命題と推論規則だ。あなたは命題と推論規則を混同している」と。つまり、「P, P→Q」から「Q」を導くことを正当化するものは「(P∧(P→Q))→Q」という命題ではなくて、「ψ, ψ→φ ⊢ φ」という推論規則 MP なのだ、と。

改版ルイスキャロルのパラドックス: それでも似た状況が起こる。つまり「P, P→Q, MPに従う」 だけでは納得できないという主張が可能だ。MP に従うことは以下のメタな推論 RMP の帰結だ。「a) 今 MP に従ってもよい状況だ b) MP に従ってもよい状況ならば MPに従う c) ゆえに MPに従う」よって、Q を帰結するためにはこうなる「P, P→Q, a, b, RMPに従う」となる。これで納得か?いや、 RMP に従うためのメタメタ推論 RRMP が必要で、・・・(以下略)。

改版ルイスキャロルのパラドックスに対する回答: パラドックスの生成原理はこうだ。 「i) 推論 I とは 規則 R に従うことだ ii) 規則 R に従うには(メタな)推論 I' が必要である iii) 推論 I' に従うには 規則 R' が必要である」これを拒否するには、 ii) を否定した「推論に基づかない方法で 規則を適用できる(場合)がある」と主張することだ。