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■ 批判対象となる現代思想

 これまでの現代思想の大まかな特徴は――それが構造主義であれ, ポストモダン思想であれ, 言語哲学であれ――世界や真理のありようは主体と客体の関連性によって開かれるという相対主義的・人間主義的・観念的な特徴を持つ。これは進歩史観的な考え方・理性至上主義の否定を帰結した。

■ メイヤスーの思弁的実在論

 メイヤスーは現代思想――彼の用語では相関主義――を引き継ぎつつも先鋭化することで, 超越的・普遍的な存在論を模索する。

 この世界の事実性――世界は「非理由的に」こうあり, それでいて(主体による分節化の可能性を超えて)いかようにも変化しうる――をメイヤスーは理性の限界とみなさず, 絶対的な実在性の本質とみなす。このようなうな絶対的存在者をハイパーカオスに関する実在論的命題を探る。

 つまり「存在者の偶然性は必然的である」「必然的存在者は不可能である」といった実在論的テーゼを元に「矛盾した絶対者は不可能である」や非理由律の強い解釈「事物は偶然的でならねばならず、事物は存在しなければならない」といった実在論的命題を形式的に導く。

 以下キーワード

・相関主義批判1. 祖先以前性……相関主義は人間が不在の時空点での事象を語ることができず思考と存在の相関性の外部にアクセスするためには十分でなく, 「大いなる外部」に近づくことができない。 ・相関主義批判2.信仰主義……相関主義はその相対主義的性質から認識を異にする「全き他者」の非存在を証明できないという不能性を持つ。内的かつ非理性的な信仰こそが絶対者への唯一の道であることが逆説的に導かれてしまう。 ・『有限性の後で』の後半……哲学は相関主義的な枠組みにとらわれており数学や自然科学といった客観性を基礎づけるのに役立っていない。これらを普遍認識の可能性という形で統合しようと――デカルト・カント・フッサールがしたように――試みている

■ ハーマンのオブジェクト指向存在論

 メイヤスーとは異なりハーマンは相関主義を拒絶し, 実在を人間から物の側に引き渡そうとする。

 対象を対象そのものとして考察されることは既存の哲学ではないがしろにされてきた。目の前の対象を個別的すぎると退け, より一般的なものを希求するような「下からの解体」だったり, 印象の束などのように主体との関係性そのものに還元するような「上からの埋却」だったり、唯物論における原子に還元するような「上からも埋却しつつ下からも解体する」などが例。

 オブジェクトを構成する要素は4つ、すなわち「感覚的対象・感覚的性質・実在的対象・実在的性質」あるという――四方構造という――。前2つは認識者に依存しない。オブジェクトは認識者にとって感覚的性質として表象されるが, それが異なったととしてもそれを同一のものとみなす核としての感覚的対象がある。とはいえ感覚的対象は無色透明なものではなく, 実在的性質≒本質≒形相――これは暗示されるだけなのだが――を背景とした固有性をもつ。実在的対象は現前しているが隠されている。意識を向けられると表象へと後退する。

 四方構造は内部でも緊張関係にあるが, オブジェクト間にも緊張関係があり相互に全貌を見せることはない。このモナド的描像は現代思想――ハーマンはアクセスの哲学――と相容れず, 実在を感覚的性質に貶めるしそうだと断罪される。   ■ テイラーとドレイファスによる多元的実在論

 現代思想は相対主義的であり、客観的な自然科学と衝突しうる。科学的認識と文化的認識のおこりうる対立を調停するための実在論を提唱する。

 20世紀は実証主義の時代だった。心理学・社会学・歴史学などの各領域で自然科学の方法を基礎とする運動がおこり「社会の数学化」が進んだ。それは生の一部分のみを学問の対象としそれ以外を捨て去る形になるので異議申し立てが提起され続け現在にいたる。

 一方、自然科学の客観性に対して、人文科学の普遍性を対置することも失敗に終わった。構造主義やポストモダン思想がその例である。社会的多様性・文化的多様性と普遍性の相性も悪いわけだ。

 そこでテイラーとドレイファスは、それぞれの文化に特有のパースペクティブからの認識が実在を記述できることを認めると同時に、自然についての<どこでもないところからの長め>も援護する。

 T&Dは現代思想を<媒介説>と呼ぶ。それは、外部は――表象であれ言語であれ――何かを媒介とすることで把握されうるという枠組みを持つという意味で心的-物的な二元論を枠組みとして持つが、その枠組み自体が誤謬という。カントやウィトゲンシュタインが指摘したように。そうではなく、生の実践においては身体は世界に直接接触している。何かを媒介とせずに。

 このように接触説を基礎としてT&Dは<多元的で頑強な実在論>を唱える。つまり、実在に迫る方法論は複数ありそれにより絶対的な真理の部分を露呈することで方法論の改訂することができるが、唯一の描像や理論というものは存在せず多元的にとどまる。というものだ。多元主義は文化的な対立を生むが、統合の可能性を開いたままにしておくという観点自体が普遍性に至るともいう。

■ガブリエルの新しい実在論

 ガブリエルは広義の新実在論の旗振り役であり、存在の理解について何かを理解する必要はない――特に認識について理解する必要はない――をマニフェストにする。

 存在とは意味の場(≒対象領域)に現れるものである。統一的な意味の場――これを世界と呼ぶ――は論理的矛盾であり存在しないので, 意味の場は複数性を持つ。特権的な意味の場もないし, 特権的な存在もない。特に自然科学のみが特権的な意味の場であることというわけではないし, 人間の認識のみが意味の場を作るわけでもない。意味の場においては対象間の関係性において把握されるという現代思想的な観念は維持しうる。

 ガブリエルは中立的実在論の根本命題として, 最大限様相的に強固な事実を認めるが, 自然科学をはじめ特権的な意味の場において認識されるものではないとする。そもそも存在を理解するのに対し存在を理解することについて理解する必要がない。

 こういったガブリエルの存在論――存在論的多元主義・存在論的実在論――は現代人の実存的課題に対しても示唆を与えている。